宮崎駿・高畑勲との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 16:06 UTC 版)
前記のように、1970年代以降の宮崎駿や高畑勲の作品を作画面で支えた。 高畑が『火垂るの墓』、宮崎が『となりのトトロ』と、長編映画を同時に制作した時期に、両者の間で近藤の争奪戦が起こった。高畑は「他は何もいらないから近ちゃんだけ欲しい」、宮崎は「近ちゃんが入ってくれないなら僕も降板する」と言ったという逸話が残っている(結局、仲裁に入った鈴木敏夫の、宮崎は自分で絵が描けるからという助言で、近藤は『火垂るの墓』の制作に携わった)。米を茶碗に盛り付ける際、手首に付着した米粒を舐め食べる動作など高畑アニメが追求する実にリアルな描写の実現は、近藤の強く鋭い感受性あって初めて可能なものだった。その後、再び高畑の元で『おもひでぽろぽろ』のキャラクターデザインと作画監督を担当する。 それ以前から近藤が演出をするという宮崎との約束があったため、宮崎が企画を持ってきた『耳をすませば』の監督を任される。『耳をすませば』の制作中に近藤と宮崎の間では何度も衝突があり、時には宮崎が演出の変更を求めたり脅すようなこともあったという。近藤の没後、このことについて宮崎は「自分が終わりを渡してしまったようなもの」と語っている[要出典]。 一方、鈴木敏夫は2018年のインタビューで、生前の近藤から「高畑さんは僕を殺そうとした。高畑さんのことを考えると、いまだに体が震える」という言葉を涙とともに聞いたと述べている。鈴木によると、葬儀の際に火葬場で関係者が待つ間、あるベテランアニメーターが「近ちゃんを殺したのは、パクさん(引用者注:高畑勲の愛称)よね」というつぶやきを漏らし、間を置いて高畑は無言でうなずいたという。
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