実用機関車の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 02:55 UTC 版)
「日本の蒸気機関車史」の記事における「実用機関車の終焉」の解説
次第に数を減らした蒸気機関車は1974年(昭和49年)11月に本州から、1975年(昭和50年)3月に九州から相次いで姿を消し(四国からはこのとき既に消滅)、この地点で大半の形式が消滅し北海道にC57形・D51形・9600形の3形式が残るのみとなる。この3形式による北海道内のローカル運用や石炭列車、入替仕業が最後の蒸気機関車運用となった。 そして1975年12月14日、「さようならSL」のヘッドマークを掲げたC57 135による室蘭本線室蘭 - 岩見沢間の225列車が運行され、蒸気機関車牽引の定期旅客列車は姿を消した。このC57 135は年明けの1976年5月に東京の交通博物館に回送・陸送され保存された(2007年10月からは交通博物館に代わって開館した鉄道博物館に保存されている)。C57 135による225列車運行の10日後の12月24日に夕張線(現・石勝線)でD51 241による石炭列車が運行され、本線上から蒸気機関車が消滅、年が明けた1976年3月2日に追分機関区の9600形(59634)による入換え仕業を最後に、保存目的の車両(梅小路蒸気機関車館〈現・京都鉄道博物館〉所属の車籍を有する保存機)を除いて国鉄から蒸気機関車は姿を消した。 民営鉄道でも保存・観光目的のものを除き同時期に蒸気機関車は姿を消し、専用鉄道でも1982年(昭和57年)の室蘭市における鉄原コークスを最後に、蒸気機関車の使用は終了している。
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