実現しなかった拡張計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 22:29 UTC 版)
「IRTペラム線」の記事における「実現しなかった拡張計画」の解説
1951年の計画の一環として、ペラム線の線路容量が拡大されることになっていたが、実現しなかった。 1954年3月に、提案された658,000,000ドルに及ぶ計画の一環として、ペラム線全線がIND2番街線に接続され、ペラム線における列車本数が3倍に増やされることになっていたが、これも実現しなかった。 IRTペラム線の規格は、Bディビジョンの規格へ容易に変更可能であるとされており、1968年のプログラム・フォー・アクションのルート132-Bとして、IND2番街線に接続されることになっていた。IND2番街線は、138丁目の下を東へ走り、それからアムトラックの北東回廊の線路敷きに沿って138丁目からブラックナー高速道路(英語版)の近くまで走り、そこからウェストチェスター・アベニューをペラム線の急行線として走って、その後ペラム線およびダイアー・アベニュー線へと分岐することになっていた。 3番街-138丁目駅のすぐ東にあるブルック・アベニュー駅は、対面乗り換えのできるプラットホームへと改築する計画があった。さらに北では、ウェストチェスター・アベニューの近くのウィットロック・アベニュー駅でIRTペラム線と接続することになっており、それより北のペラム・ベイ・パーク駅までの各駅のプラットホームは、幅を狭くし長くすることで、2番街線から乗り入れてくる車両長も車幅も大きなディビジョンBの車両に対応することになっていた。ペラム線の各駅停車は1駅南のハンツ・ポイント・アベニュー駅止まりとなることになっていた。このプロジェクトにより、アメリカ合衆国内で最も輸送量が多くなっていたIRTレキシントン・アベニュー線の混雑を緩和することにつながるとされていた。 プログラム・フォー・アクションの第2段階として、ペラム線はコープシティ住宅施設の現代的な駅まで延長されることになっていた。 1975年から1976年にかけてニューヨーク市を襲った財政危機により、計画の残りの部分のほとんどは資金が調達できなくなり、撤回されることになった。1970年代半ばから1980年代初頭にかけて完成すると見込まれていたプログラム・フォー・アクションの路線群は、いずれも1970年代の財政危機により計画を縮小するか中止に追い込まれることになった。
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