宝永・享保期の推定金銀流通高
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「正徳の治」の記事における「宝永・享保期の推定金銀流通高」の解説
ここで、上記の元禄金銀・宝永金銀の合計の流通量であるが、元禄金銀から宝永金銀、あるいは宝永銀の各種(宝字銀→永字銀→三ツ宝銀→四ツ宝銀)の貨幣改鋳に関してもそれぞれ旧金銀を回収して新金銀を発行しているため、市場において元禄金銀・宝永金銀の鋳造分すべての合計が同時に流通していたわけではない。実際には幕府の損失を伴う良貨への改鋳はなかなか進捗せず、正徳年間の正徳金銀の鋳造量は極わずかで、元禄・宝永金銀各種との混在流通が続く状態であった。 明治新政府による鋳造高から輸出高及び改鋳高を差し引いた流通高の調査によれば、金について正徳金の鋳造開始直前の正徳4年(1714年)、および正徳・享保金鋳造終了時の元文元年(1736年)は以下の通りであった。 『新旧金銀貨幣鋳造高并流通年度取調書』による金の推定流通高貨幣総鋳造高正徳4年元文元年元禄金 13,936,220両1分 198,540両1分2朱 198,540両1分2朱 宝永金 11,515,500両 11,515,500両 280,866両3分 正徳金 213,500両 16,795両1分 享保金 8,280,000両 8,145,894両 合計 11,714,040両1分2朱 8,642,096両1分2朱 同調査で銀については、正徳4年(1714年)、および元文元年(1736年)は宝永銀各種は全て改鋳され0貫になっているなど仮定が粗い推定である。 『新旧金銀貨幣鋳造高并流通年度取調書』による銀の推定流通高貨幣総鋳造高正徳4年元文元年元禄銀 405,850貫 0 0 宝字銀 278,130貫 0 0 永字銀 5,836貫 5,836貫 0 三ツ宝銀 370,487貫 370,487貫 0 四ツ宝銀 401,240貫 401,240貫 0 正徳銀 331,420貫 331,025貫 合計 また、銀について鋳造高から改鋳高を差し引いた世上在高としては、住友家の史料による荻原重秀が罷免され宝永銀が吹止めとなった正徳2年(1712年)の時点、『月堂見聞集』による吉宗による元禄・宝永金銀通用停止前の享保6年7月(1721年8月頃)時点は以下のようであった。ただし、これは輸出高は考慮されていない。 鋳造高から改鋳高を引いた銀の推定流通高貨幣総鋳造高正徳2年享保6年7月元禄銀 405,850貫 186,417貫 148,417貫038匁 宝字銀 278,130貫 52,505貫 12,734貫 永字銀 5,836貫 1,957貫 724貫 三ツ宝銀 353,870貫 169,947貫 3,114貫400匁 四ツ宝銀 401,240貫 394,700貫 13,913貫900匁 正徳銀 331,420貫 223,080貫571匁 合計 805,526貫 401,983貫909匁
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