宝永元年の洪水と葛西用水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 15:03 UTC 版)
「亀有溜井」の記事における「宝永元年の洪水と葛西用水」の解説
1704年(宝永元年)8月1日に、利根川の上川俣(羽生市上川俣)が破堤し、洪水流は江戸に達した。中島用水は、上流部の権現堂川筋が砂で埋まり、江戸川からの取水ができなくなった。葛西領でも、亀有溜井の北の締切堤である猿ヶ俣が切れて古利根川の水流が入るようになり、南の新宿の締切堤だけで水を保たせている状態であった。1719年(享保4年)に、関東郡代伊奈忠蓬は中島用水を古利根川から切り離し、上川俣の利根川に圦樋を設けて幸手用水と接続させ、琵琶溜井や川口溜井では圦樋を増設して水量を確保した。以来、上川俣の利根川取水から葛西井堀末端までを「葛西用水」と称する様になった。
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