孫子の子孫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 15:38 UTC 版)
上記の『新唐書』「宰相世系三下」によると孫一門は、田完から五世の子孫である孫武の祖父が軍功あって孫姓を賜ったことに遡る。 それによると、孫武につき「(孫)憑は武を生む。(武の)字は長卿。田・鮑四族の謀、乱を為すを以て,呉に奔り,将軍となる。三子あり、馳、明、敵なり」とし、孫武には孫馳・孫明・孫敵という三人の息子がいたと記述する。次男の孫明は呉の富春郡を賜り、後の富春孫氏の祖となったと伝わる。富春孫氏はまた富春龍門孫氏と称され、『四庫全書』によれば三国時代の孫堅、孫策、孫権父子はこの家系とされる。 一方で『三国志』の著者陳寿は「孫堅は孫子の子孫だといわれる」と曖昧に記し、さらに南朝の宋代の『異苑』は、孫堅の父は「瓜売り」の孫鍾なる人物であったとする。同時期の『幽明録』(現在は散逸)や、東晋の裴啓の『裴子語林』にも孫鍾の名が記されているなど反証も多く、孫堅が実際に孫武の子孫かどうかは疑問が多い。 現在の浙江省杭州市富陽区南部のある村では、住人の9割が「孫氏」を名乗り、富春孫氏の末裔を称する。村に伝わる族譜によると、客家の孫文もまた富春孫氏に連なるという。中国政府の調査によると、この族譜は清代のものである。
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