学生時代と平和部隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 01:16 UTC 版)
「クリストファー・ヒル」の記事における「学生時代と平和部隊」の解説
父親が外交官であったため、幼少期から家族と共に世界中を転々とした。ハイチにおいてアメリカの外交官が追放された後、一家でロードアイランド州リトルコンプトンに移り住む。ここでプロビデンスのモーセ・ブラウン・スクールを1970年に卒業し、1974年にはボウディン大学で経済学士号を取得した。 大学卒業後、アメリカ政府によって運用されているボランティアプログラム「平和部隊」に参加することを決断した。当時を振り返りヒルは「どこにでもいる学生のように、私は卒業後何をすれば良いのか全く分からなかったので、父の人生よりは少し冒険的なことができるだろうと平和部隊に参加することにしたのです」と語っている。 平和部隊としてはカメルーンに配属され、1974年から1976年までボランティア活動をした。この時の活動についてヒルは、外交について学ぶ最初のきっかけであったと評価している。活動先は信用協同組合であった。ここでヒルは取締役の一人が組合員の預金の60パーセントを着服していることを発見し、これを背任行為として告発した。しかしヒルは、不正を犯した取締役がすぐに再選出されたことを知る。取締役会は、部族間の利益を注意深く反映することが最も大切であって、経営の善し悪しは問題にされなかったのだ。この出来事を通じて「何かが起こるのには必ず理由があるのであって、その理由を見つけることに最善を尽くすことは当然だ。しかし理由が分かったところで結果を変えられるとは限らない。」という教訓を得たという。 その後1994年に米国海軍軍事学校で修士号取得。 母語である英語に加えポーランド語、セルビア・クロアチア語、マケドニア語、アルバニア語を話す。
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