子爵位の復権と公爵位継承
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「ブリッドポート子爵」の記事における「子爵位の復権と公爵位継承」の解説
そのサミュエルの子である3代男爵アレグザンダー(1814-1904)は、女王ヴィクトリアや国王エドワード7世の侍従を務めた廷臣である。彼は襲爵から5か月後の1868年7月6日に「ブロンテ及びサマセット州クリケット・セント・トマスのブリッドポート子爵(Viscount Bridport, of Cricket St Thomas in the County of Somerset, and of Bronte)」に昇叙して、子爵位の復権を果たした。彼が現在まで続く子爵家の直接の祖となった。さらに、アレグザンダーは1873年に母からホレーショ・ネルソン提督を始祖とする両シチリア王国貴族爵位「ブロンテ公爵(イタリア語版)(Duke of Bronté)」を継承した。これ以降は初代子爵の直系男子によって爵位は継承され続けている。 初代子爵ののちはその長男アーサーが子爵位を継承した一方、ブロンテ公爵位はヤンガーソンの一人アレグザンダー(5代公、1854-1937)が継承した。これはブロンテ公爵位には特別継承が許されており、「爵位保持者は任意の次期譲受人を定めることができる」旨が規定されていたためである。 2代子爵アーサー(1839-1924)には長男モーリス(1881-1915)がいたが、彼は第一次世界大戦(ガリポリの戦い)時に戦死したため、孫のロウランドが爵位を襲った。 3代子爵ロウランド(1911-1969)は5代公アレグザンダーの死去後にブロンテ公爵を継承、公爵位は再び子爵家当主が帯びることとなった。 その息子である4代子爵アレグザンダー(1948-)が子爵家現当主である。
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