子役時代から再デビューまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 17:18 UTC 版)
「真田広之」の記事における「子役時代から再デビューまで」の解説
同じマンションに住んでいた高田浩吉の息子と遊んでいたところを芸能関係者にスカウトされ、幼児向け雑誌のモデルなどを経て、5歳で劇団ひまわりに入った。1966年に千葉真一主演映画『浪曲子守唄』でデビューし、続けて千葉や高倉健の主演作品に息子役で出演。その後、父を癌で亡くしたが、中学校入学と同時に、幼少時に共演した千葉の主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)に入団。時を同じくして母の勧めにより日本舞踊の玉川流に入門。1974年には映画『直撃! 地獄拳』に出演した。高校入学後、千葉のアドバイスで学業専念することになり、一旦芸能活動から身を引く。 1978年、映画『柳生一族の陰謀』のオーディションに合格したことで芸能活動を本格的に再開。再デビュー後は千葉真一の命名により、千葉真一の「真」と千葉の本名(前田禎穂)の「田」を組み合わせ、「真田 広之」と名乗るようになった。同年、日本舞踊でも玉川流の名取となり「玉川 大輔」の名を受けた。また、テレビドラマ『宇宙からのメッセージ・銀河大戦』で主演を務める。日本大学藝術学部進学後も殺陣同志会に在籍して殺陣の向上に努めた。同級生に船越英一郎がいる。
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