妾と売春業の存在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:53 UTC 版)
また、唐代になると、女性を経済的物品として見ることも増え始めた。唐代以前は妻に加えて妾を持つことは上層階級に限られていたが、唐代の法律では妻と妾の区別を明確化し、その子供の間にも差を設けた。男性は法的には一人の妻を持つことしか許されていなかったが、経済的余裕の限りで妾は何人でも購入してよいとされた。妾の法的な地位は、婢と呼ばれる小間使いとは別物であって、婢はその地位から解放(「放」)されなければ逃れることはできなかった。しかしながら、妾は婢と同様に正妻に仕えることが期待されていたし、妾の子供も正妻を法的な母親として扱うように求められた。また、夫が死んだとしても、妾には相続権は与えられなかった。 正妻は売りに出してはいけないことになっていたが、女性を経済的物品とみなす感覚は、夫が正妻を売春宿に売り払うことを容易にした。長安では、日本の芸者と同じように、こうした女性が歌謡や会話によって客を楽しませた。女児は、しばしば物乞いになり、貧しい家庭に年季奉公に出向いた。売春宿に入る場合は、女性経営者の姓を名乗った。こうした境遇からの脱出口は、客の正妻になるか、客の妾となることであった。また、唐代を通して、性感染症の存在が認識されており、淋病に類する病が性行為を通して拡大していた。
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