妻ゾフィーの死と、アルプの戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 16:51 UTC 版)
「ジャン・アルプ」の記事における「妻ゾフィーの死と、アルプの戦後」の解説
1943年1月12日夜、就寝中だった妻のゾフィーが故障したストーブから出た一酸化炭素中毒で事故死した。この悲劇的な事故は、アルプのその後の生涯に決定的な影響を与えた。 妻の突然の死によって深刻な鬱に陥ったアルプは修道院に引きこもり4年間、詩作だけで妻を弔って過ごした。その後、長年の友人で収集家で晩年にはアルプの再婚相手ともなるマルゲリーテ・ハーゲンバッハの支援により、制作を再開する。また、詩を主題にしたモチーフを繰り返し応用した彫刻を精力的に発表するようになり、エッセイなどの著作にも多く記した。 1954年、ヴェネツィア・ビエンナーレ彫刻部門賞を受賞、1963年にはフランス芸術大賞を受賞した後、アルプの名声はゆるぎないものとなり、数多くの彫刻を世界中に残した。 1959年、マルゲリーテと結婚。自らの著作をまとめた集大成である「摘みとられた日々」を準備した後、アルプは1966年にスイスのバーゼルにて死去した。「摘みとられた日々」はアルプの死後に刊行された。
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