妹尾兼忠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/06 07:14 UTC 版)
妹尾 兼忠(せお かねただ)は、秋田県横手市に残る伝説に登場する人物である。通称が五郎兵衛であることから、妹尾五郎兵衛兼忠(せおごろべえかねただ)とも呼ばれている。また、怪力であったため「大力妹尾兼忠(だいりきせおかねただ)」とも呼ばれている。
- ^ 佐竹氏家臣。兼貞とも。佐竹氏の久保田転封により須田美濃守(須田盛秀)とともに常陸国より従って来た茂木百騎の一人。秋田領横手城下の本町に居を構えたと伝わる。
- ^ 横手城下町の内町(武家町)と大町、四日町などの外町(町人町)とを分ける横手川にかかる橋。送り盆祭りでも有名。菅江真澄『雪の出羽路』に「蛇の崎」の名の由来が掲載されている。それによれば、大蛇と河童がこの渕で争い、なかなか勝負が着かなかったが、河童が別の渕に移ってヨロヨロとなった大蛇が渕の主になったという説話である。
- ^ 妹尾五郎兵衛兼忠が大力を授かった話は、広く知られ、幕末から明治にかけて著名であった講談師桃川如燕は、これを粉飾して寄席の高座で「溝口半之丞」(「幽霊半之丞」とも)の題名で口演した。小泉八雲は『日本奇談』のなかで「梅津忠兵衛」として、この話を掲載しており、柳田國男も『日本の昔話』に「妹尾五郎兵衛」の伝承を記録している。
- ^ 雄物川支流で横手の市街地の中央を流れる。別名、旭川。
- ^ この話は『長野先生夜話』に伝わる。
- ^ 戦国大名小野寺氏により築城された山城。佐竹氏はここに歴代城代(はじめは須田氏、のち戸村氏)を置いた。失脚した本多正純預かりの城ともなった。
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