兼忠の怪力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/09/27 00:01 UTC 版)
横手城内で兼忠の怪力が評判になったころ、植木に使う大木を運搬中に蛇の崎橋で欄干に引っかかってどちらにも動けなくなる出来事があった。兼忠がちょうど通りかかり、大木を移動させようと必死に作業する人夫に、通行の邪魔であると声をかけた。人夫はつい、良くない言葉で返事をしたため、武士の兼忠はその無礼に怒り、大木を持ち上げるなり橋の下の横手川の川原に投げ落としてしまった。この大木を引き上げるのに、50人の人夫が3日かかったという。 元和8年(1622年)の大眼宗一揆のとき、兼忠は2間余りの角材を手に持って蛇の崎橋の上に立ち、一揆の信者たちをにらみつけ、追いのけて功名をあげたとも、また、兼忠の下駄は、1斗余り入る味噌桶の台ほどの大きさだったとも伝わる。 ある雨の日、兼忠が足駄を履いて傘を右手に持ち、左の手の平に大石を乗せて、急な七曲がりの坂を苦もなく登って横手城へ登城する姿が、人々を驚かせたという。現在横手公園の一部となっている横手城本丸跡(秋田神社境内)には「大力無双妹尾兼忠」と刻まれた石碑と、彼が片手で運んだとされる大きな石が残っている。
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