女性のスポーツ参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 23:59 UTC 版)
「中華人民共和国のスポーツ」の記事における「女性のスポーツ参加」の解説
中国人女性のスポーツ参加は、儒教からくる三従四徳の教えと、纏足というスポーツに向かない風習がその主たる要因となり、男性以上に困難を極めた。1907年に「女子学童章程」が公布され、女性に対する学問教育やスポーツ参加が提唱されるようになり、1908年には中国女子体育学校が設立され、体操や球技に取り組むようになる。1916年に正式種目ではない公開競技扱いとして全国運動会で初めて女子バスケットボールが披露されたのが女子競技スポーツの嚆矢とされている。その後、1929年の全国運動会で初めて女子スポーツ種目が正式種目に取り入れられた。1931年には両江女子体育専科学校の女子バスケットボールチームが日本遠征を敢行し、対外試合を経験した。以降、国際舞台の場で女子選手の活躍がが少しずつ見られるようになり、1957年には鄭鳳栄(英語版)が、1971年には呉浮山がそれぞれ女子走り高跳びで世界新記録を出し、1980年代前半には中国女子バレーボールチームがワールドカップ、世界選手権、オリンピックの金メダルを総なめにするなど、世界最強とも呼ばれるような種目も誕生した。
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