奥入瀬川の利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 03:52 UTC 版)
「法量 (十和田市)」の記事における「奥入瀬川の利用」の解説
かつて法量村などの奥入瀬川の村は米の収穫は乏しく、ワラビなどで食料を補っていた。江戸時代後期からは、奥入瀬川から水路を開削し、流域への灌漑に利用するようになった。これは左右両岸で行われ、左岸にあたる法量村では天保年間(1830-1844)に堰が築かれたとの記録がある。その後、前述の稲生川が法量地区から開削されて三本木原の開発が始まった。近代以降は水路開発と同時に耕地整理も行われ、30年余りをかけて一帯は畑作地帯から水田地帯へと変わっていった。 明治中期には、奥入瀬川に発電所を建設する計画が持ち上がったが、景勝地である十和田湖や奥入瀬渓流の破壊につながるとして反対され実現しなかった。昭和に入ると電力需要が増加し、数ヶ所の発電所が建設された。発電所が齎す固定資産税によって村の財政は大いに潤い、老人医療費の無料化などの政策が行われた。また、これを原資に1960年代から70年代にかけて、奥入瀬川と蔦川合流地点の焼山地区周辺に温泉の開発が行われた。一帯には十和田湖温泉スキー場などもつくられ、焼山温泉、十二里温泉、川の上流にある蔦温泉、猿倉温泉なども含めて十和田湖温泉郷と称している。奥入瀬川の両岸に宿泊施設などがあるほか、右岸(地名の上では奥瀬地区となる)には民俗資料館などがある。 十和田湖温泉郷 焼山温泉 谷地温泉 十二里温泉 十和田湖温泉スキー場
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