奥内豊吉の文化事業
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奥内豊吉はこの平和観音寺の他、大阪府豊中市にも自身が蒐集した美術品を収蔵した「奥内陶芸美術館」を1972年に創立している。平和観音寺は奥内の妻の死後、法的には奥内一族の手を離れる形となったが、豊吉が創業した不動産事業グループは豊吉夫妻の遺族の手で承継され、奥内陶芸美術館も遺族の運営により公益財団法人として存続している。なお、表札の屋号は1977年開業の平和観音寺の案内表示に合わせたのか、「奥内近代美術館」と修正されている。 産経新聞の報道によると、豊吉夫妻の遺族は平和観音寺の法的権利を放棄した後も、「豊吉が建設した施設が地域に迷惑を掛けていることに対する道義的責任は感じている」として、ふるさと納税という形で相当額を淡路市に対して毎年納付し続けており、淡路市の観音像対策関連事業も、この遺族からの納税が財源として充てられているという。
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