太陽の恋人 アグネス・ラム
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太陽の恋人 アグネス・ラム | |
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監督 | 三堀篤 |
出演者 | アグネス・ラム |
音楽 | 高中正義 |
主題歌 | 「Sweet Agnes」 |
撮影 | 倉橋良宏 |
編集 | 千蔵豊 |
製作会社 | 東映東京 |
配給 | 東映 |
公開 |
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上映時間 | 25分 |
製作国 |
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言語 | 英語 |
『太陽の恋人 アグネス・ラム』(たいようのこいびとアグネス・ラム)は、1976年東映製作・配給によるアグネス・ラム主演の短編映画。
概要
ドライブやテニスに乗馬、ショッピング、スケートボード、愛犬ドーベルマンと遊んだり、ハワイのビーチで戯れたり、当時社会現象を起こすほどの人気を集めたアグネス・ラムのハワイでの日常を点描する25分の短編映画[1][2][3][4]。ハワイオアフ島東南部を中心にロケ[2]。劇中、アグネスがプールサイドでインタビューに答えるシーン(英語)があり、アグネスの肉声(CMでは"ホッ"、"フルーチェね"がある)[2]を日本のファンが聞いたのはこれが初めてだった[1][3]。
製作経緯
1976年に雑誌のグラビアやテレビCMを独占したアグネス・ラムの人気を当て込み、東映は撮影クルーをハワイに派遣[5]、今日いうイメージビデオ的小品をスピーディに作り上げた[4][5][6]。
キャスト
スタッフ
- 監督:三堀篤
- 企画:足立和・星野和子
- 撮影:倉橋良宏
- 録音:波多野勲
- 編集:千蔵豊
音楽
- 音楽:高中正義
- 主題歌:Sweet Agnes
- 挿入曲:憧れのセーシェル諸島(アルバム『SEYCHELLES』より)
- 高中正義のアグネス・ラムぐるいは仲間うちでも超有名で[7]、知り合いのツテでアグネスに会えるという話が出るや、アルバム『SEYCHELLES』のレコーディング中であったにもかかわらず、仕事を一時中断、大ハシャギでハワイに行き、アグネスと2時間話ができた。帰国後もアグネスにのぼせ上げ、シングル「Sweet Agnes」を製作し、本作の音楽を担当するに至った[7]。
- 南国気分を強引に盛り上げる高中の主題歌「Sweet Agnes」は静かな人気があり[4]、1979年の長谷川和彦監督『太陽を盗んだ男』、西村潔監督の『黄金のパートナー』でも要所に使用されている[4]。
備考
アグネス・ラムはグラビア撮影ではすべてノーメイク[8]。本作もノーメイクである。
1980年代に大作一本立て映画が増える以前の1970年代までは、映画は二本立てが基本であったため、日本のプログラムピクチャーには、番組を多彩に見せるための添え物的な短編・中編映画が即製で製作されることも多かった[4]。本作の監督・三堀篤は『新幹線大爆破』の添え物作品『ずうとるび 前進!前進!大前進!!』や、1976年夏の東映まんがまつり用『山口さんちのツトム君』などを撮った後、プロデューサーに転向している[4]。
アグネス・ラムが最初に来日したのは1975年3月末で[9][10]、この時は小さな仕事しか獲得できず[9]。日本に居住して仕事を続けることを大西一興(のち、スペースクラフト代表)から説得されたが、寒さが苦手でホームシックもあってこれを拒否し、ハワイを拠点に活動するという条件で帰国した[9]。人気が爆発したのは同年11月にライオン油脂の「エメロン・ミンキー・トリートメント」のCMに起用されてからで[9]、以降、多くの雑誌の表紙やグラビアを飾り[11]、1976年夏には大手企業十数社がCMに起用するまでになった[8][9][12]。二度目の来日だった1976年11月にはマスメディアも大きく取り上げ、ファンも殺到し大きな騒動になった[9][12]。本作『太陽の恋人 アグネス・ラム』が撮影されたのは1976年であるが、劇中、アグネスがインタビューに答えるシーンがあり、「あなたのことを熱心に応援してくれる日本のファンの皆さまへメッセージをお願いします」と聞かれ「将来日本に行けたらうれしいのですが、行けないときには是非皆様が、ハワイに来て戴きたいと思います」と、まだ日本に行ったことがないという体で話す。
興行形態と成績
1976年の東映は『トラック野郎シリーズ』と『まんがまつり』以外は不振番組が続き[13][14][15]、同年7月、シビレを切らした岡田茂東映社長が自ら陣頭に立ち、実録ものをさらにドギツク、リアルにした"ドキュメンタリー・ドラマ路線"の新設を打ち出し[15][16][17][18]、「洋画のヒット作の趨勢と呼応する"話題性"を軸にした"見世物映画"を香具師の精神で作品を売っていく」と宣言した[16]。岡田社長肝いり路線の第一弾が『沖縄やくざ戦争』と『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑』の二本立てで[16]、第二弾が岩城滉一主演の「暴走族シリーズ」第4弾『爆発! 750cc族』と舘ひろし主演の『男組 少年刑務所』の二本立てだったが[16][19]、これが先の新路線とは傾向の違う"青春路線"だったため[20]、この二本立ての興行不安から岡田社長が急遽、公開予定のなかった[16]、本作『太陽の恋人 アグネス・ラム』を付け[15]、三本立てで公開した[6][15][19][21]。不良性感度と純情派の同居が思わしくなく[21]、結果、興行は振るわず[6][15][21]。岡田は「これは所詮うちのカラーに合わん。勝負に出たのが狂った」と述べている[15]。
同時上映
『男組 少年刑務所』
映像ソフト
1970年代当時の岡田茂東映社長が8ミリフイルムによるホームシアター化を推進していたため[22][23][24]、「富士フィルム東映8ミリ映画劇場」のタイトルの一つとして1970年代に8ミリフイルムとして発売されている(東映ビデオ#1970年代)。ビデオテープが発売されたかについては不明。2003年3月にはエポック社から、54枚の写真カード等を付けて限定500個を謳いDVDとして発売された[3]。高中のミュージック・ビデオ『Go-On』にも映像が登場している。その後、2011年10月21日発売の「復刻! 東映まんがまつり 1974年夏」において初DVD化されている。
脚注
- ^ a b “太陽の恋人 アグネス・ラム”. 日本映画製作者連盟. 2017年11月18日閲覧。
- ^ a b c 河原一邦「邦画マンスリー」『ロードショー』1976年11月号、集英社、174-175頁。
- ^ a b c アグネス・ラム DVD&カードセット
- ^ a b c d e f 樋口尚文『ロマンポルノと実録やくざ映画 禁じられた70年代日本映画』平凡社、2009年、207 - 208頁。ISBN 978-4-582-85476-3。
- ^ a b 杉作J太郎・植地毅『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』徳間書店、1999年、204頁。ISBN 4-19-861016-9。
- ^ a b c 長友健二+長田美穂『アグネス・ラムのいた時代』中央公論新社〈中央新書ラクレ 238〉、2007年、37頁。ISBN 978-4-12-150238-4。
- ^ a b 「感激!アグネスは神様です! 高中正義」『月刊明星』、集英社、1976年11月、107頁。
- ^ a b 「表紙 夏の女 アグネス・ラム あどけない笑顔が日本の男を虜にした」『週刊読売』、読売新聞東京本社、1976年7月24日、117頁。
- ^ a b c d e f 『アグネス・ラムのいた時代』17 - 18頁。
- ^ “元祖“黒船グラドル”アグネス・ラム来日騒動”. 日刊ゲンダイDIGITAL (株式会社日刊現代). (2014年3月7日) 2017年11月18日閲覧。
- ^ 『アグネス・ラム写真集 『1974 Memories』』双葉社、2017年。ISBN 978-4-575-312140。[要ページ番号]
- ^ a b 「11月20日帰国したラムちゃんの滞在始末記」『週刊TVガイド』、東京ニュース通信社、1976年12月3日、20 - 24頁。
- ^ 「ヒット・Hit 東映『まんがまつり』のヒットで春を呼び込む」『キネマ旬報』1976年(昭和51年)5月上旬号、キネマ旬報社、186頁。
- ^ 「日本映画紹介」『キネマ旬報』1976年8月下旬号、183–184頁。
- ^ a b c d e f 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、2012年6月、82 - 86頁。ISBN 978-4-636-88519-4。
- ^ a b c d e 「映画界の動き 東映、見世物映画へ大転換」『キネマ旬報』1976年9月上号、179頁。
- ^ 滝沢一・松田政男「今月の問題作批評 中島貞夫監督の『沖縄やくざ戦争』」『キネマ旬報』1976年10月上旬号、172 - 173頁。
- ^ 「邦画指定席 沖縄やくざ戦争」『近代映画』1976年(昭和51年)10月号、近代映画社、171頁。
- ^ a b 「興行価値」『キネマ旬報』1976年9月下旬号、179頁。
- ^ 「東映秋の青春映画3作品」『キネマ旬報』1976年10月上旬号、46頁。
- ^ a b c “東映正月迄番組完全に固まる劇場事情で細かい編成考慮/敬老の日と映画界の関係 ヒットは『タクシードライバー』のみ”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1976年9月25日)
- ^ 岡田茂(代表取締役社長)・福中脩(国際部長代理)・布施建(教育映画部企画部長)・矢沢昭夫(人事部次長)・今井均(宣伝部宣伝課長代理)・青木洋一(コンピューター部課長代理)「―今月のことば― "東映NN計画"(東映全国事業網拡大計画)/東映NN計画 "おはようございます"社長」『社内報とうえい』1973年2月号 No.172、東映株式会社、2-11頁。
- ^ 今村三四夫 (1973年11月3日). “東映がフジフィルムと提携 東映8ミリ映画劇場の開発/今週の日記から”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1
- ^ 「ホーム・シアター時代の幕開け ―『富士フィルム東映8ミリ映画劇場』がスタート」『月刊ビデオ&ミュージック』1973年11月号、東京映音、15頁。
外部リンク
固有名詞の分類
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