太平洋クラブライオンズ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 13:50 UTC 版)
「山賊打線」の記事における「太平洋クラブライオンズ時代」の解説
1975年に大洋ホエールズから移籍し、選手兼任監督に就任した江藤慎一によるチームである。当時のチームは江藤を筆頭に、白仁天、土井正博らトレードで獲得したベテラン選手が打線の中軸を担い、豪放磊落な江藤の人柄も相まってこの呼称が付いた。 また、2代目の応援歌「君こそライオンズ」と併用されてこの年に発表・発売された公式球団歌「惚れたぜライオンズ」(作詞:本間繁義、作曲:高田勝、編曲:神保正明、歌唱:中村基樹、発売:東宝レコード)でも、1番の歌詞にある「誰れがつけたか どんたく打線」と並んで、2番の歌詞で「ごつい顔だよ 山賊打線」と歌われていた。 このシーズン、太平洋は白仁天が首位打者、土井正博が本塁打王を獲得し、チームも3位となったが、新監督としてレオ・ドローチャーを招聘する構想に伴い、江藤が監督退任(ロッテオリオンズへ移籍)したため、「山賊打線」の呼び名はこのシーズン限りであった。
※この「太平洋クラブライオンズ時代」の解説は、「山賊打線」の解説の一部です。
「太平洋クラブライオンズ時代」を含む「山賊打線」の記事については、「山賊打線」の概要を参照ください。
- 太平洋クラブライオンズ時代のページへのリンク