天授年間の出来事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 07:38 UTC 版)
※ 南朝関係に限る。 元年(1375年) 月日不明(6月とも) - 『五百番歌合』が催される。 8月26日 - 九州探題今川了俊が肥後水島の軍営で少弐冬資を暗殺する(水島の変)。 2年(1376年) 4月 - 『百番歌合』が催される。 6月 - 長慶天皇・東宮煕成親王が『千首和歌(天授千首)』を発意する。 この夏 - 菊池武朝が後征西将軍宮(良成親王か)を奉じて肥後国府に出陣し、今川了俊・大内義弘から防備する。 12月 - 今川満範・相良前頼・伊東氏祐らが日向都城を攻め、島津氏久は救援のため天峰に出陣する。 3年(1377年) 1月13日 - 今川仲秋が肥前千布・蜷打で菊池武朝と交戦して破る(肥前蜷打の戦い)。 7月13日 - 宗良親王が嘉喜門院に対して詠歌(『嘉喜門院集』)の提出を要請する。 8月12日 - 菊池武朝が肥後臼間野・大水関で今川仲秋・大内義弘らと交戦して敗退する(鎮西合戦)。 この冬 - 宗良親王が信濃へ向かう途中、長谷寺に入って落飾する。 4年(1378年) 9月29日 - 菊池武朝・後征西将軍宮が肥後託麻原で今川了俊と交戦して破る(託麻原の合戦)。 12月13日 - 橋本正督が紀伊守護細川業秀を攻撃して敗走させる。 5年(1379年) 1月22日 - 山名義理・氏清らの北朝方が和泉土丸城の橋本正督を攻略する。 3月1日〜3日 - 島津氏久が日向蓑原で今川満範を攻撃して破る(蓑原の合戦)。 6月17日 - 菊池武朝が肥後団山に出陣し、今川仲秋と交戦する。 9月 - これ以前、行宮を吉野から栄山寺に移す。 6年(1380年) 7月17日 - 橋本正督が和泉守護山名氏清と交戦して敗死する。 10月8日 - 今川仲秋が肥後水島城を陥落する。 7年(1381年) 1月 - 内裏歌会が催される(『新葉和歌集』に見える年次の明らかな最新の和歌会)。
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