大陸でのヴァイキングの動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 23:22 UTC 版)
「大異教軍」の記事における「大陸でのヴァイキングの動向」の解説
ヴァイキングの軍団は、フランスでの略奪でその規模を増していったと考えられる。カロリング帝国に侵攻した彼らは、皇帝ルートヴィヒ1世やその息子たちと戦闘を繰り広げた。またロタール1世は、逆にヴァイキング艦隊を味方につけて自らの戦争に利用した。この抗争が終わるころには、ヴァイキングは川を遡って修道院や町を襲撃すれば大きな旨味を得られることに気づいていた。845年、ヴァイキングはパリ攻撃を企て、その中止と引き換えに西フランク王シャルル2世から多額の賠償金を獲得した。それから数十年の間、ヴァイキングの船団は西フランクの川という川を我が物顔で遊弋し、各地を襲撃しては莫大な富を獲得していった。しかし862年、シャルル2世が川や都市の防備を固めたため、フランス内陸部での略奪は難しくなった。ヴァイキングは防衛の手が回っていない小河川を攻撃するようになったが、修道院などもより内陸へ移転するようになったため、ヴァイキングは西フランクでの活動を諦め、その矛先をイングランドに向けたのである。
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