大阪市電気局400形電車
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大阪市電気局400形電車(おおさかしでんききょく400がたでんしゃ)は、大阪市電気局(現・大阪市交通局)が1943年(昭和18年)に導入した通勤形電車である。
- ^ 扉間に等間隔に各3個、車掌台下に1個の合計7カ所に開口部が設けられた。
- ^ 端子電圧750V時定格出力170kW/770rpm(全界磁)225A。
- ^ 局内形式はAK-4。
- ^ 当時同様に特注の大出力電動機を使用していた関西私鉄各社はいずれも資材難による補修部品の確保に難渋しており、特に大阪市営地下鉄と天王寺で接続していた南海鉄道山手線(旧阪和電気鉄道)は合併や国有化に伴う事務手続きの遅延もあって致命的な状況に陥り、4個モーター車の2個モーター化を手始めに、ありとあらゆる手段を講じていたことが知られている。
- ^ 1951年開業の昭和町-天王寺間がオープンカット工法にて施工後、天井に蓋をせずに開業したため、降雨対策が必要となって追加された。
- ^ 桜木町事故の教訓で1952年に装着された。
- ^ 前面貫通扉左下部に1灯取り付けられていた尾灯を、前面幕板左右端に各1灯装備に変更し、視認性を向上させた。
- ^ 1955年頃に施工。
- ^ 1955年にサービス向上を目的として実施された。
- ^ 1958年竣工の1200形に合わせ、上部アイボリーホワイト、下部オレンジの2色塗り分けに変更が工場検査周期に合わせて実施された。
- ^ 長大編成化による応答性低下や空走時分の過大化対策として1959年12月から1960年2月にかけて実施。運転台のブレーキ制御弁を交換し、床下にB1電空接触器とNo.21電磁給排弁などを付加した。この改造に際しては、AMUE電磁自動空気ブレーキへの改造を予定して用意してあった空きスペースが活用されたという。
- ^ 高性能車と極力同じダイヤで運行可能とするため、主電動機の設定を見直して限流値を引き上げ、RMS電流に対応して主電動機の絶縁種別をA種からB種へ変更、界磁切り替え式弱め界磁段(1段)を追加して主回路の抵抗箱を4個から6個に増設、更に主電動機のベアリングを新品のローラーベアリングで置き換えて起動抵抗を低減することで加速性能と最高速度の向上を図った。
- ^ 500・600形の検査入場時の代替先頭車として使用可能とすべく1963年から1964年にかけて実施。これにより本形式は最終期まで編成先頭に立つ機会が残されることとなった。
- ^ 1959年から1966年にかけて実施。
- 1 大阪市電気局400形電車とは
- 2 大阪市電気局400形電車の概要
- 3 終焉
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