大蔵主導の再編策と見掛増資とは? わかりやすく解説

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大蔵主導の再編策と見掛増資

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/23 08:57 UTC 版)

幸福銀行」の記事における「大蔵主導の再編策と見掛増資」の解説

1997年夏、大蔵省銀行局杉井孝審議官部下石井道遠中小金融課長(のち、国税庁長官経て東日本銀行頭取)を通じ関西地区経営が行詰まっていた幸福銀京都共栄銀行筆頭株主大一商店)、福徳銀行なにわ銀行の4行に経営不振同士合併させるため、新たに創設した特定合併制度利用し合併するよう持ち掛けていた。関西では1995年8月木津信用組合兵庫銀行経営破綻し、翌年には阪和銀行業務停止命令発動されていたことから、次は○○銀行危ないなどという風説頻繁に流布され金融火薬庫呼ばれていた。だが、同年9月になると4行の経営不振表沙汰となり、また特定合併制度与野党から不評買ったこうしたことから大蔵省も4行同時処理を諦め、2行ずつを処理する方針へと軌道修正図った。翌1998年10月26日自主再建断念した京都共栄銀から幸福銀営業譲渡された。 1999年2月、幸福銀幹部ATM相互開放資本提携密かに大和銀行打診したが、同行リスクが高すぎると拒絶したこのあと福銀住友銀行三和銀行にも提携申し入れるいずれも固辞木村義雄政界人脈にも期待したがそれも実を結ばず外資系企業等からも色よい返事を得ることが出来なかった。金融監督庁検査を受け資本増強迫られた幸福銀は、グループ企業対す3度増資実施する経営基盤強化にはつながらず、同じよう経営難に陥っていた東京相和銀行グループ互いに増資引き受け合う「迂回出資」を行い急場しのごうとした。一種の「見掛(見せ金増資であった

※この「大蔵主導の再編策と見掛増資」の解説は、「幸福銀行」の解説の一部です。
「大蔵主導の再編策と見掛増資」を含む「幸福銀行」の記事については、「幸福銀行」の概要を参照ください。

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