大正時代以降の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 14:48 UTC 版)
1912年(明治45年)から10年の間に「横須賀水道」がこの峠を通り、横須賀水道トンネル、正式には「巨福呂坂送水管路ずい道」が現在の道路の位置まで掘り下げられた。その時点では聖天坂への旧道はまた生きていたのではないかと思われる。その後、新道は1923年(大正12年)の関東大震災で壁面の崩落に遭い通行ができなくなったがその後拡張され、車両の通行が可能となり、さらに1956年(昭和31年)に拡幅工事が行われた。 そして1993年(平成5年)5月に落石防護施設として現在の吹き抜けトンネルのような「切通しを歩いている実感を損なわれないようにアーチ状の梁とし、天井開口部を大きな六角形にし、石積みの壁を造るなど雰囲気を改善」した巨福呂坂洞門が造られた。 なお、巨福呂坂は1969年(昭和44年)11月29日、国の史跡に指定されている。
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