大文字一揆とは? わかりやすく解説

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大塔合戦

(大文字一揆 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/08 15:38 UTC 版)

大塔合戦(おおとうがっせん)とは、応永7年(1400年)に信濃守護小笠原長秀が、村上氏井上氏高梨氏仁科氏ら有力国人領主及び、それらと結んだ中小国人領主の連合軍(大文字一揆)と善光寺平南部で争った合戦。守護側が大敗し、以後も信濃国は中小の有力国人領主たちが割拠する時代が続くことになる。


  1. ^ 千曲川は江戸時代を通じて64回の洪水があり、その内の11回は犀川との同時洪水であったと伝えられる。仁和4年(888年)(あるいは仁和3年)に千曲川の大洪水があったことが『類聚三代格』や『日本紀略』・『扶桑略記』といった文献に見られ、江戸時代にも寛保2年(1742年これ以後の洪水砂層でも2m)や弘化4年(1847年)の善光寺大地震に伴う犀川の大洪水が記録に残されている。これらは、後の発掘調査(昭和36年~40年、更埴市条里遺構の学術調査)で4mもの洪水砂層が確認されて実証された。





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