大手枡形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 09:47 UTC 版)
二の丸から本丸へ登る途中にある門や土塀に囲まれた空間。南側正面に大手門、大手門を過ぎて右手の石段「3段」の上に二の門が設けられていた。規模は南北約9メートル、東西約12メートル。普段は武士達への威厳を示す場所であり、ここまで来た武士は呼吸を整えながら、本丸へ登るために衣紋の乱れなどを直していた。 大手門 大手枡形の南側に存在した門。通称:追手門、一の門、表門。門の両脇に潜り門とし、更に両脇に袖塀をつけていた。慶長5年(1600年)に犬山城へ移築されて内田御門に使用された。その後、同市にある瑞泉寺に移築された。江戸時代後期に老朽化のため新造されて現在に至る。その門の土台の間隔は兼山城大手門の礎石の寸法と一致したという。 大手門跡(表側) 大手門跡(裏側) 二の門 大手枡形の東側に存在した門。通称:裏門、出口門。慶長5年(1600年)に大手門と同様に犬山城へ移築されて高麗門に使用されたが、その後、同市にある瑞泉寺に移築された。二の門は現存しているが老朽化が激しい。 二の門跡「表側」 二の門跡「裏側」
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