大戦期のイギリス装甲師団の装備・編成の変遷
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最初の機甲師団である第1装甲師団は1939年9月3日に編成された。1939年におけるイギリス装甲師団の編成は1個重装甲旅団・1個軽装甲旅団・師団支援群(砲兵連隊・自動車化歩兵大隊2個等)からなり、理論上は351輛の戦車を保有することになっていた。 第1装甲師団 - 第1重装甲旅団(3個連隊編成)・第2軽装甲旅団(3個連隊編成)・第1支援群 (イギリス機甲部隊における連隊は同時期のドイツ軍における大隊とほぼ同規模) イギリス軍は歩兵戦車・巡航戦車二分論にとりつかれ、バランスの取れた主力戦闘戦車の登場が遅れ、アメリカからの兵器供与頼みが続いた。歩兵戦車は独立戦車旅団に配備され、装甲師団や装甲旅団は巡航戦車や軽戦車を装備していた。アメリカ製中戦車は基本的に巡航戦車扱いであった。 1939年9月にエジプト機動師団が改編・改称され、エジプト装甲師団となった。 1939年12月15日にイギリス本土にて第2装甲師団が編成された。 1940年2月16日にエジプトにてエジプト装甲師団は第7装甲師団となった。 1940年9月12日にイギリス本土にて第6装甲師団が編成された。 1940年11月4日にイギリス本土にて第8装甲師団が編成された。 1940年12月1日にイギリス本土にて第9装甲師団が編成された。 1941年3月9日にイギリス本土にて第11装甲師団が編成された。 リビアにてドイツ軍の攻撃により師団司令部が壊滅した第2装甲師団は1941年5月10日にエジプトにて解隊された。 1941年6月17日にイギリス本土にて近衛装甲師団が編成された。 1941年8月1日に中東にて第10装甲師団が編成された。 1941年11月1日にイギリス本土にて第42装甲師団が編成された。 1942年8月14日にイギリス本土にて第79装甲師団が編成された。 1943年1月1日にエジプトにて第8装甲師団は解隊された。 1943年10月17日にイギリス本土にて第42装甲師団は解隊された。 1944年6月15日にエジプトにて第10装甲師団は解隊された。 1944年7月31日にイギリス本土にて第9装甲師団は解隊された。 1945年1月11日にイタリアにて第1装甲師団は解隊された。
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