声優を目指すまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 07:11 UTC 版)
幼少の頃から芝居が好きで、学芸会では積極的に劇に参加した。幼稚園では『みにくいアヒルの子』のみにくいアヒル役、小学校では『かぐや姫』で帝役を演じる。帝役について皆川は「その時すでに男役だったんです」と自己分析している。 中学・高校時代は、バレーボールの部活動に専念した。中学のバレー部では先輩・後輩の縦の人間関係が厳しく社会の縮図を学んだという。高校のバレー部は練習が厳しく休みがなかった。バレーボール一色の生活で、友達と学校帰りに余暇を楽しむといったことができなかったため、部活の引退時には「これでようやく普通の高校生になれる」と思ったという。これらの部活動の経験は辛いことから逃げ出さない精神力が身につき、心身ともに鍛えられて良かったとしている。高校卒業後は、日本国外に住んで働くことを希望してスチュワーデスを志す。英語専門学校のスチュワーデス科に通うが、勉強をおろそかにして学生生活を楽しんでしまったため、どこの航空会社にも受からなかった。 その後、普通の会社に就職する。会社での人間関係は良好で楽しかったが、「これが私の一生の仕事なのだろうか」「夢中になれるものがほしい」という思いから、自分が本当にやりたかったことを全力でやってみようと子供の頃の夢だった役者になることを決意する。当初は劇団の養成所に入ろうとしたが、毎日のように稽古があることを知り、学費や生活費などの金銭の問題から断念する。会社員を続けながら芝居の勉強ができる場所を探した結果、声優養成所を見つける。もともと漫画やアニメが好きだったこともあり、声優業に興味をひかれて映像テクノアカデミアに入学した。こうした経緯から最初は「絶対に声優になるんだってわけじゃなかった」と振り返っている。学んでいくうちに徐々に「声優になりたい。一生の職業にしたい」と本気で志すようになる。2000年3月に映像テクノアカデミアを卒業、同年に俳協に所属し、会社を退職した。
※この「声優を目指すまで」の解説は、「皆川純子」の解説の一部です。
「声優を目指すまで」を含む「皆川純子」の記事については、「皆川純子」の概要を参照ください。
- 声優を目指すまでのページへのリンク