壁に書かれた詩について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 07:42 UTC 版)
慧能が弘忍の跡継ぎとして認められた時、次のような伝説がある。弘忍は悟りの心境をうまく詩に表せた者を後継者と認めようといい、当初、弘忍門下筆頭だった神秀が壁に偈を書いたが、弘忍は認めず、それを聞いた慧能が神秀の詩を否定するような詩を書き、それを弘忍が認めたので六祖となったという。 神秀の詩 身是菩提樹 心如明鏡臺(身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し) 時時勤拂拭 莫使有塵埃(時時に勤めて拂拭し 塵埃を有らしむること莫れ) 慧能の詩 菩提本無樹 明鏡亦非臺(菩提.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}本(もと)樹無く 明鏡亦(また)臺(だい)に非(あら)ず) 本來無一物 何處惹塵埃(本来無一物(むいちもつ) 何(いず)れの處(ところ)にか塵埃(じんあい)を惹(ひ)かんと) 慧能の詩(多版本) 菩提本無樹 明鏡亦無臺(菩提に本から樹など無い 明鏡にもまた台など無い) 佛性常清淨 何處有塵埃(仏性は常に清浄だ 何処に塵埃が有るのか) 心是菩提樹 身為明鏡臺(心が菩提樹であり 身を明鏡台というのだ) 明鏡本清淨 何處染塵埃(明鏡は本から清浄だ 何処が塵埃に染まるというのか) 慧能が弘忍の命令で達磨から受け継がれた袈裟を持って大庾嶺まで逃げたところ、500人の僧が追ってきたが、法論して負けて逆に弟子になった者もいるという。 現在、慧能のものとされるミイラは広東省韶関市曲江区の南華寺に祀られている。科学的な調査によって唐代中期に作成されたものと推定され、中国に現存するミイラとしては最古のものと言われる。衣服を含めて漆で塗り固められているため、外見からミイラの状態を確かめることはできない。文化大革命時代、紅衛兵に一部を破壊された。後に修復する際、頭骨を含めた骨格と補強の鉄材を確認することができたという。
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