塩木山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 05:47 UTC 版)
珍しい里山の利用法としては、製塩のための燃料の供給源が挙げられる。こうした里山は塩木山と呼ばれた。製塩は大量の燃料を必要とする(年間通して生産する場合、塩田の面積の75倍の広さの森林を全て燃料として1年で消費しなければならない)ため、製塩業にとって塩木山の確保は死活問題であった。記録では8世紀後半から東大寺や西大寺などの大寺院の荘園として塩木山が存在していることが知られている。近世になると製塩業向けの燃料としての薪販売は、特に山陽地方において盛んとなった。このようなケースでは、薪を生産するのは河川によって塩田と結ばれた山間地の村であった。山間地の村の住人が里山の木を薪に加工し、銀などと交換しており、里山は必ずしも村内の自給自足経済を満たすためだけに利用されていたわけではない。こうした製塩業向けの燃料供給は石炭が一般化する19世紀初頭まで続いたが、森林再生速度を超えた伐採により森林資源が逼迫し、争いになることもあった。製塩業の他にもたたら製鉄用の燃料や陶磁器焼成の為の燃料として、里山の木は大量に消費された。
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