基本方針の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 16:13 UTC 版)
「サウスウエスト航空」の記事における「基本方針の確立」の解説
1973年、事業拡大のためテキサス州リオグランデバレーへの路線開設を行うことになり、TACにリオグランデバレーにあるハーリンゲンへの路線開設の申請を行った。1974年から開始された審議の際にも、ライバル航空会社のうちの1社であるテキサスインターナショナル航空は「リオグランデバレーへの路線は必要にして十分であり、他社の参入の余地はない」と主張した が、1年近い審議の後、サウスウエスト航空の参入が認められた。このとき、テキサスインターナショナル航空は暫定的差止命令を入手しようとした が、折りしもテキサスインターナショナル航空はストライキのため満足な運航が出来る状態ではなく、結局差止命令は発布されなかった。そして、1975年初頭から運航を開始したサウスウエスト航空は、ストライキの影響を受けて不便を蒙っていたリオグランデバレーの住民から歓迎されたのである。 さらに、この路線では他社との競争以上に重要な事実が判明した。サウスウエスト航空が就航する直前の1974年、リオグランデバレーとダラス・ヒューストン・サンアントニオの3都市間を移動する旅客数は年間12万3000人程度であった。ところが、サウスウエスト航空が就航した1975年の同区間の旅客数は32万5000人にも及んだのだ。これまで飛行機を利用していなかった利用者層が、サウスウエスト航空の低運賃によって、飛行機を利用するようになったのである。サウスウエスト航空の基本戦略である「低運賃で頻繁に運航する」という方針が正しかったことが証明され、その後次々とテキサス州への各都市へ路線を開設することになる。数年後には州内10都市を結ぶ航空会社となっていた。 なお、合衆国政府は1975年2月14日に、ライバル航空会社のブラニフ航空とテキサスインターナショナル航空が共謀してサウスウエスト航空を廃業に追い込もうと、サウスウエスト航空の投資銀行や仕入先に対して圧力をかけていることなど、シャーマン法に違反した行為を行っているとして起訴した。2社はともに反論しなかったため、罰金として10万ドルを課せられている。
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