地質図の編纂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 01:50 UTC 版)
「ジョージ・ベラス・グリノー」の記事における「地質図の編纂」の解説
当初から地質図の製作に関心をもっていたグリノーは、1808年にイングランドとウェールズの様々な地層の境界線を調査・スケッチし、1810年には地質図作成のために国内を回った。1812年、地質学会に"nine maps of England with the principle strata sketched in"を提出し、学会評議会からより大規模なイングランドとウェールズの地図を作成するよう要請された。しかし、当座の地形図の図版の質が満足のいくものではなく、1814年までは準備できなかった。 その後、イングランドとウェールズの地方にいた学会メンバーが各地の岩石や地層の詳細を提出し、それらをグリノーが地質図としてまとめ上げて編纂することになった。フランシス・ベーコン的帰納主義者であったグリノーは、詳細な情報を集めて体系化することで岩石の配置パターンを経験的に導き出すことを目指した。情報収集に当たっては、ウィリアム・バックランドとともにイングランドの岩石調査をした他、ウィリアム・ダニエル・コニベア、ヘンリー・デ・ラ・ビーチ ,Henry Warburton、Thomas Webster(当地質図の下図製作をした)、John Farey Sr.、J. Hailstone、David Mushet、Thomas Biddle、アーサー・エイキンら様々な地質学関係者からの協力を得ている。1820年にグリノーはこうして編纂・製作した地図をGeological Map of England and Walesとして出版した(第2版が1840年、第3版が1865年に出版されている)。この地図は、初期の地質学会がグリノーを中心として組織した地質図作成委員会のプロジェクトの集大成であった。
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