地理・考古学的要素
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:22 UTC 版)
「ローマの建国神話」の記事における「地理・考古学的要素」の解説
詳細は「ラテン人」および「エトルリア」を参照 アイネイアース伝承やロームルス伝承の舞台となったラティウム地方は温暖であり、土壌は火山性の凝灰岩で、農耕には不向きでも牧畜には最適であった。そこでは、青銅器時代にはアペニン文化の影響を受けていたが、紀元前10世紀頃にラテン人が民族移動でラティウム平野に侵入した。その後、鉄器時代に紀元前6世紀までラティウム文化が栄える。ラティウム文化はイタリア半島北部のヴィラノヴァ文化と南部のフォッサクルトゥーア文化の2文化の影響を受けていた。また、初期のローマは南部に進出しようとしたエトルリア人の影響も受けている。ラティウム文化は初期の頃は火葬だったが、徐々に土葬に変わっていった。ローマではパラティーノの丘などに紀元前8世紀の集落の遺跡が遺っている。前述の”ロームルスの小屋”はラティウム文化の一般的な家屋であり、屋根は葦や木の枝、藁でできていたという。 ローマはティベレ川の下流部にあって洪水などで湿気が多く、マラリアの発生源になりやすいが、ティベレ川の河川航行が可能である。このローマの地勢についてウィトルウィウスやマルクス・フリウス・カミルスらが都市の建設には最適であったと絶賛している。
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