ラティウム文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 03:43 UTC 版)
民族的には紀元前1000前から紀元前700年頃にイタリック人という今までの概念から、ラテン人という新たな帰属心と独自の文化圏を形成し始めたと見られている。彼らの文化はラティウム文化圏と呼ばれ、一部の学者はビラバノ文化圏と関連すると考えているが、現時点では両者の関係は明確ではない。ラティウム文化における最大の特徴は小屋の形を模した棺を使用するという点である。この伝統は前期ラティウム文化では部分的であったが、後期ラティウム文化では一般的になっていった。 住居は木と藁で作られた質素な農作業小屋を基本としており、紀元前650年頃まで一般的な住居であった。木造様式の家屋における典型的な例がパラティーノの丘に残された「カーサ・ロムルス」と呼ばれる建築物である。建国者ロムルス自身の手で作られたというカーサ・ロムルスは文化財として維持され、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの治世までは残されていたという。
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