地方市場の成熟と地域間流通の活発化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 17:19 UTC 版)
「宋 (王朝)」の記事における「地方市場の成熟と地域間流通の活発化」の解説
中唐までの市場は基本的に都市の特定の場所と決まった時間帯に定められ、それ以外の場所で行う場合には事前報告が必要だった、また市場で商売を行う者は法律上は市籍登録を必要とした。 農業生産や手工業生産の増大により、市場となる草市や鎮市が発生した。また市場間の連結を促したのが、全国的に整備された運河網である。 水位の違う運河を往来するため互いの水位を調節する閘門が設けられ、運河により宋全土の4分の3に行けた。首都・開封は運河使用を前提にした都市であり、内部を運河が貫通している。またそれまでイスラム商人の独擅場であった海洋航路にも宋商人が進出する。 宋代の船の大きさは米の積載量である石(ないし料)で表される。外洋船では大型船が積載量5000~10000石・乗組員50~600人、中型船が1000~2000石・20~300人、小型船は数十人から十数人規模まである。河川を航行する船は、航行する河川や役割によって大きな差異があり、20000石を積める大船もあれば200石規模の小船もあった。 数百人規模の船では、船長を網手といい、その下に上級船員として雑事(事務・会計の長)・直庫(武器庫の長)・三老(水夫の取りまとめ)・火長(方位測定・櫓櫂を扱う水夫の監督)などがいる。
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