園田外相による共同声明否定発言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 09:15 UTC 版)
「鈴木善幸」の記事における「園田外相による共同声明否定発言」の解説
1981年6月12日、ホノルルで日米安保事務レベル協議が開催され、米側から日本に対し、防衛計画の大綱の見直しと、1000海里シーレーンの防空・戦闘継続能力二ヶ月以上との要求がなされた。6月19日、マニラでのASEAN拡大外相会議でヘイグ米国務長官と会談した園田直外相は米側の過大な要求に対し、財政状況などから困難であるとの旨を伝えた。翌20日、ホテルの自室に集まった記者に日米間の相違について問われた園田は、先の鈴木・レーガン共同声明を「声明には鈴木総理の意思が反映されていない。声明は条約・協定・覚書とは異なる。外交上の拘束力はない。」などと発言し、新聞などで報じられ大きな問題となる。園田は緊急の記者会見を開き釈明したものの、アメリカからの対日信用を落とす形となった。日米同盟問題、非核三原則問題などと合わせ、鈴木・園田コンビが対米外交で失点を重ねたことは小室直樹など評論家から厳しく批判された。
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