オストラント国家弁務官区とは? わかりやすく解説

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オストラント国家弁務官区

(国家弁務官統治下のオストラント から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/26 19:38 UTC 版)

オストラント国家弁務官区
Reichskommissariat Ostland (ドイツ語)



1941年 - 1945年



国旗 (国章)
国歌: Die Fahne hoch(ドイツ語)
旗を高く掲げよ

オストラント国家弁務官区の位置(1942年)
公用語 ドイツ語
言語 ドイツ語
ベラルーシ語
エストニア語
ラトビア語
リトアニア語
ロシア語
ポーランド語
ウクライナ語
イディッシュ語
首都 リガ
国家弁務官
1941年 - 1944年 ヒンリヒ・ローゼ
1944年 - 1945年 エーリヒ・コッホ
変遷
国家弁務官区の設置 1941年7月17日
解体 1945年1月20日
通貨 ライヒスマルク
現在  ベラルーシ
 エストニア
 ラトビア
 リトアニア

オストラント国家弁務官区(オストラントこっかべんむかんく、ドイツ語: Reichskommissariat Ostland)は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツにより現在のベラルーシバルト三国エストニアラトビアリトアニアに設立された国家弁務官区である。東部占領地域省国家弁務官が支配した[1]

歴史

1941年6月22日、ドイツはソビエト連邦に対しバルバロッサ作戦を開始。ドイツ軍赤軍を圧倒し広大な土地を占領した。 同年7月17日、オストラント国家弁務官区が設置され、ヒンリヒ・ローゼ国家弁務官に任命された。

1943年から国家弁務官区は徐々に赤軍に奪還されていった。1944年7月にはベラルーシ全土を解放し、バルト三国も大半を奪還した。

1944年9月8日にはウクライナ国家弁務官区の国家弁務官を務めていたエーリヒ・コッホがオストラントの国家弁務官を引き継いだ。

1944年11月10日、オストラント国家弁務官区は正式に解体された。

1945年にはクールラント・ポケットを残すのみとなり、[注 1]クールラント半島に取り残されたまま終戦を迎えた。

名称

東部占領地域大臣アルフレート・ローゼンベルクは1941年当時この土地を「バルテン・ランド」(バルト地方)と呼ぶことを構想していたが、[2]側近のオットー・ブロイティガムドイツ語版は「白ルテニア人バルト人と見なされるだろう」と反対。別の側近であるゲオルク・ライプブラントドイツ語版も反対したためドイツ語で「東の土地」という意味の「オストラント」という名前に構想を変更した。

地名・行政区分

地名

一部の地名はロシア語からドイツ語化が行われた。(タリン→レヴァル、カウナス→カウエンなど)

エストニアはペイプスラント、ラトビアはデュナランドという名前に変更する案もあった[3]

行政区分

エストニア、ラトビア、リトアニア、白ロシア(白ルテニア)の4つの地区があった。

首都はリガに置かれた。

行政区分を表した地図。
地区一覧(右の地図を参照)
右の地図の色 地区名 ソ連時代の共和国 所在地
エストニア エストニアSSR レヴァル(タリン)
ラトビア ラトビアSSR リガ
リトアニア リトアニアSSR カウエン(カウナス)
白ロシア 白ロシアSSR[注 2] ミンスク

迫害と搾取

ユダヤ人・スラブ人の迫害

ドイツは東方生存圏確保のために多数のスラブ人が住んでいたソ連に侵攻、占領地のスラブ人を追放しドイツ人植民させ、占領地のゲルマン化を目論んでいた。特にエストニア人ラトビア人リトアニア人は「最も容易にゲルマン化できる」とした。

ドイツ占領前、この土地には48万人のユダヤ人が住んでいたが、ドイツが占領すると苛烈なユダヤ人迫害でほとんどのユダヤ人が殺害されたり国外追放で命を落とした。

人物

脚注

注釈

  1. ^ 西エストニア諸島なども領土として残っていたがドイツは放棄していた。
  2. ^ ブレストなどはウクライナ国家弁務官領。

出典

  1. ^ Nazi conspiracy and aggression.”. avalon.law.yale.edu. 2024年1月11日閲覧。
  2. ^ Kay, Alex J.(英語)『Exploitation, Resettlement, Mass Murder: Political and Economic Planning for German Occupation Policy in the Soviet Union, 1940-1941』Berghahn Books、2006年。ISBN 978-1-84545-186-8https://books.google.co.jp/books?id=l20PlJtfk0IC&q=%22Guidelines+for+Special+Fields%22+%2213+March+1941%22&pg=PA70&redir_esc=y#v=snippet&q=%22Guidelines%20for%20Special%20Fields%22%20%2213%20March%201941%22&f=false 
  3. ^ Lumans, Valdis O. (2006) (英語). Latvia in World War II. Fordham Univ Press. ISBN 978-0-8232-2627-6. https://books.google.co.jp/books?id=IPv1gjLhtZ4C&dq=peipusland&pg=PA149&redir_esc=y#v=onepage&q=peipusland&f=false 



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