国内特急・インターシティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 22:50 UTC 版)
「西ドイツ国鉄VT11.5型気動車」の記事における「国内特急・インターシティ」の解説
TEEでの運用が減少したことから、1968年夏ダイヤ改正から601型は西ドイツ国内の特急列車(F-Zug)にも用いられることになった。同年冬からは、国内特急のうち6往復の列車名に「インターシティ」が冠されることになり、うち4往復は601型を使用した列車であった。この際に前面のTEEロゴマークの上に、インターシティのマークをつけた着脱式のカバーが取り付けられた。また動力車側面の“TRANS EUROP EXPRESS”のロゴも消された。 インターシティは最高速度160km/hで運転されることになっていたが、601型はTEE規格に基づき最高速度が140 km/h に設計されていたため、160 km/h で運行するには中間車を5両のみとした7両編成とする必要があった。このため一部列車は需要に対応しきれず、客車列車による運転に変更されたものもある。8 - 10両編成での160 km/h 運転を行うため、1971年から1973年にかけて一部の動力車がエンジンをガスタービンエンジンに換装され、602型となった。 9月26日のダイヤ改正で、西ドイツ国鉄は従来のF-Zugを再編し、4系統からなるインターシティ網を発足させた。この時6往復(不定期列車の「カーヴェンデル」を除く)のインターシティが601型気動車による列車とされた。この時期、601型は602型への改造を予定されていた車両を除きすべてハンブルク=アルトナ車両基地所属とされていたが、実際にはフランクフルト・アム・マインを拠点に運用された。一日あたりの走行距離を均等にするため、複数の列車を組み合わせた複雑な車両運用が行なわれていた。 1974年7月14日にはハンブルク - フランクフルト - ルートヴィヒスハーフェン間(IC3号線)のインターシティ「ザクセンロス」が602型ガスタービン動力車による列車となった。しかし1975年1月には動力車の片方を602型、もう片方を602型とした編成に置き換えられた。1975年6月1日にはハンブルク - ケルン間(IC1号線)の「プリンツィパル」が602型による列車となるが、これも1年後の1976年5月30日には601型と602型の混結編成に置き換えられた。602型ガスタービン動力車単独による列車はこの二例のみに終わった。 1976年夏以降、601型と602型の混結編成はこのほかハノーファー - ケルン、ボン間(IC2号線)の列車にも用いられた。なおこの時期にはザクセンロスは601型単独の編成に戻っている。 1978年5月28日のダイヤ改正で601型・602型混結編成の運用は終了した。また同改正で601型単独の定期列車も二往復のみとなった。 1979年5月29日から、西ドイツ国鉄は全てのインターシティに二等車を連結するようになった。一等車専用の601型/901型気動車はこのダイヤ改正でインターシティの運用を外れた。その後、1979年に602型が廃車となり、1980年には601型の一部が廃車となっている。
※この「国内特急・インターシティ」の解説は、「西ドイツ国鉄VT11.5型気動車」の解説の一部です。
「国内特急・インターシティ」を含む「西ドイツ国鉄VT11.5型気動車」の記事については、「西ドイツ国鉄VT11.5型気動車」の概要を参照ください。
- 国内特急・インターシティのページへのリンク