囚われの水ふかく貝は色増し
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評 言 |
恩師岡崎水都先生から一番初めに頂いた句が上掲の句である。囚われの身となった貝は、水底深く沈みこみ、じっと押し黙って、ひたすら自分の思いを深め、色増していったのであろうか。「貝は色増し」の表現がなぜか心に深く滲みてくる。 そもそも「囚われの水」とは何だろうか。この句は水都先生広島時代の句である。厳しい俳句統制の時代、社会からの「囚われの水」であろうか、また、それぞれの主義主張を持つ句界からの「囚われの水」であるかもしれない。いずれにしても己自身囚われの身にある状況の中で、決して己の信念を失わず、ますますその思いを深めていく姿が、「貝は色増し」の表現を通して私の心に迫ってくるのである。 この句を戴いてから二十年以上経つが、いつも私の心のどこかにこの「色増す貝」が沈み込んでいて、時々何かの折に触れて浮かび上がってくるのである。 先生は富士山の一番美しく見える富士宮市井之頭という小さな山村に第二の人生を求めて、美しい奥様と二人転居された。「霧の五戸夜は夜霧のともしび五つ」と先生の句に詠われているように、それはさびしい過疎の村である。そこで先生は自身代表となって小さな結社「羚」を結成された。先生は「一人一派」の旗を掲げ、一人一人が自分の目指す俳句を掲げて作句することを薦められた。「『一人一派』は創作への態度である。有名人への偉業を慕い、作風を継ごうとする惰性への警告である。創作は自分自身の表出でなければならない」と常に厳しく自分自身への自戒も込めて私たちを指導された。 平成18年96歳の長寿をもって先生は鬼籍の人となられた。「羚」会員は先生の教えを継いで、「一人一派」の難しい旗印を掲げながら、囚われの身ではないが、自分の思いが醸成され、貝が色増すことを願いつつ作句に励んでいるところである。 |
評 者 |
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備 考 |
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