噴石などによる被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)
「1888年の磐梯山噴火」の記事における「噴石などによる被害」の解説
1888年の磐梯山噴火において、噴石の直撃など火山噴出物による直接的な被害は、山腹の上ノ湯、中ノ湯で発生した。噴火当時、北側山腹には総称、磐梯の湯と呼ばれた、上ノ湯、中ノ湯、下ノ湯という三つの温泉があった。うち上ノ湯、下ノ湯は湯尻沢という沢の上流側に上ノ湯、下流に下ノ湯があり、中ノ湯は湯尻沢の西側を流れる支流沿いにあった。各温泉は夏から秋にかけては連日多くの湯治客で賑わっており、磐梯の湯全体では12棟の湯治用の建物があったという。 上ノ湯、中ノ湯の湯治客、湯守はまさに噴火の直撃を受けることになった。記録によると上ノ湯、中ノ湯、下ノ湯の死者は合計26名、負傷者は5名とされている。これはあくまで身元が判明した者だけの数であるため、死者はもっと多かった可能性もある。上ノ湯、下ノ湯の湯治客、湯守は全員死亡、中ノ湯は10名の湯治客のうち半数の5名が亡くなり、湯守も死亡した。中ノ湯の湯治客のうち5名は負傷したものの生還した。中ノ湯に生存者がいた理由は、上ノ湯、下ノ湯に比べて西側にあり、噴火場所からやや距離があったためと考えられている。上ノ湯は後述する下ノ湯とは異なり、山体崩壊による岩屑なだれの直撃は免れたものの、噴石によって完全に埋没して生存者は皆無であった。 中ノ湯に湯治に訪れていた最中に噴火に遭い、生還した鶴巻良尊の報告によれば、噴火開始後周囲は黒煙に包まれ、大小の石が大量に降り注いだと述べている。また中ノ湯の滞在者の中で、大きな石の直撃を受けた人物は皆、亡くなったとも記録しており、中ノ湯での死亡者の死亡原因は大きな噴石の直撃であったことがわかる。
※この「噴石などによる被害」の解説は、「1888年の磐梯山噴火」の解説の一部です。
「噴石などによる被害」を含む「1888年の磐梯山噴火」の記事については、「1888年の磐梯山噴火」の概要を参照ください。
- 噴石などによる被害のページへのリンク