商業・歓楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 17:19 UTC 版)
前述のように都市の各所に店屋があったが、当然都市の中でも盛寂が分化した。 開封では相国寺の在る旧城の東南部一帯が、大運河から直接接舷し荷降し出来るため、周囲には客商や商人、やって来た官吏や兵士で大変賑わった。臨安では宮城から北に伸びる大通りの中間部分が最も栄えており、ここに食器店・貴金属店・薬剤店などのが集中的に立ち並んだ。 人の集まる商業区にはそれを目当てに飲食店・娯楽・風俗店などが集まる。 宋代の料理については#食で詳しく述べるが、一食数十銭で済む安い食堂から何十貫と掛かる高級料亭まで、好みと懐具合に応じて様々な店を選べた。高級飲食店には多数の妓女がおり、徽宗が愛したという李師師などの話が伝わる。 宋代の都市には瓦市という芸人の集まる場所があり、様々な芸で人々を楽しませた。この時代に『三国志演義』の元となるような講談(説三分)が既に演じられており、劉備が負けると皆泣いて悔しがり、曹操が負けると喝采を送ったという。歴史物では他に五代をテーマにしたものが人気であった。 これ以外にも切紙・影絵・動物の芸など様々な芸があり、人々を楽しませていた。
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