和戦を胸中に秘めて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 03:29 UTC 版)
余は閣議をリードすることなく、もっぱら聞き役に回り、意見は存分に述べて貰うこととした。 5月7日 ドイツ無条件降伏。 当面の問題として沖縄戦においてある程度先方を叩いたら和議を踏み出してみようと思っていたのである。ところが、沖縄の戦局は日に日に我が方の不利となり、本土へのB29の来襲は急速度を増し、かつ大規模な編隊による爆撃がくり返されるようになった。 5月11,12,14日 最高戦争指導会議。ソ連に和平を仲介してもらう案が浮上。 6月3,4,24,29日 広田弘毅元首相がヤコフ・マリク駐日ソ連大使と会談し、ソ連を介した和平工作を試みる。 広田弘毅氏を煩わして、ソ連側マリック氏との私的会談を進めて貰うことにした。この会議は最初やや順調に進みつつあったようであるが、我が方の沖縄作戦が徹底的に不利になるに及んで一頓挫をきたしてしまった。 6月6,8日 『国力の現状』報告をもとに最高戦争指導会議。国力が払底していることが確認されたが、本土決戦の方針は不変。 もはや目前に敵の侵寇を控えた現在としては、皇土と民族を護りおおせれば我が方の戦争目的は遂行されたものと見做すという悲痛な戦争目的の転換説が台頭した。 6月9-13日 臨時帝国議会。施政方針演説で議会紛糾(天罰発言事件)。 6月22日 天皇の意向による最高戦争指導者との懇談会。あらためてソ連仲介による和平方向。 陛下には親しくご懇談あらせられ、戦争に関してなんらかの方法をもって速やかに終結するように考慮するようにとお諭しがあった。 6月23日 牛島満が自決、沖縄戦終了。 7月12日 ソ連へ近衛文麿和平特使を天皇が任命。 7月16日 米、原爆実験に成功。テニアン島に向け出荷。 7月17日~8月2日 米英ソがポツダム会談。
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