和人の本格的進出・島の領有とは? わかりやすく解説

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和人の本格的進出・島の領有

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:36 UTC 版)

国後島」の記事における「和人の本格的進出・島の領有」の解説

江戸時代には、1754年宝暦4年松前藩によって家臣知行地として開かれた国後場所に属する。当初国後場所の領域には択捉島得撫島含まれていた。場所請負制参照商人飛騨屋に対して「場所」と呼ばれた交易漁業拠点運営を行わせていた。飛騨屋アイヌ人雇用して経営行い商取引労働条件に不満を募らせアイヌ人はついに、天明9年1789年5月国後島泊の運上屋(藩の出先機関交易拠点)を襲撃した。これは対岸根室・標津方面にまで広がり大規模な寛政蝦夷の乱(いわゆるクナシリ・メナシの戦い)」に発展した松前藩は、260名の鎮圧部隊送り込み首謀者アイヌ人37名を全員処刑して、蜂起鎮圧された。この結果場所請負人変更や、いくぶん商取引漁場での労働条件改善見られた。安政元年1855年)の日露和親条約で、国後島日本領有国際的に確認された。

※この「和人の本格的進出・島の領有」の解説は、「国後島」の解説の一部です。
「和人の本格的進出・島の領有」を含む「国後島」の記事については、「国後島」の概要を参照ください。

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