和人の認知および上陸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:36 UTC 版)
寛永21年(1644年)『正保御国絵図』には、「くなしり」が島の名称として記録される。『津軽一統志』(巻第十之下)によると、正保4年(1647年)頃に「らつこ島」の「くなしり」を訪れた松前の和人がいた。また『勢州船北海漂着記』によると、寛文元年(1661年)に伊勢国松坂の七郎兵衛の船が遭難して得撫島に漂着し、そこから択捉島や「くる尻」(原文ママ)などを経由して江戸に帰ったとされる。
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