呂105撃沈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/06 16:16 UTC 版)
「イングランド (護衛駆逐艦)」の記事における「呂105撃沈」の解説
イングランドらは5月27日にマヌス島へ到着した。燃料、食料、弾薬の積み込み後、3隻は再び対潜掃討に参加するためスパングラー(英語版) (USS Spangler, DE-696)を加えて5月28日1800時に出撃した。 5月30日0156時にヘイゼルウッドがレーダーで呂105を発見し、爆雷攻撃を行ったが外れた。ジョージとラビーが加勢して、25時間に16回ものヘッジホッグと爆雷による攻撃を行った。5月31日0310時に呂105は空気を取入れるために浮上し、ジョージとラビーはすぐに発見した。だが呂105は2隻の護衛駆逐艦のちょうど中間地点にいたため、ラビーもジョージも互いを誤射する危険から呂105が潜水するまでの5分間、一発も発射することができなかった。ラビー、ジョージ、そしてスパングラーによるヘッジホッグ攻撃が続けて行われたが、全て失敗した。 不甲斐ない状況を見た部隊のヘインズ司令は無線で「ああ、畜生。前進せよ、イングランド」(Oh, hell. Go ahead, England.)と命じた。それからイングランドは0736時にヘッジホッグ攻撃によって6発の爆発を記録。0741時に大きな爆発が起こり、海面に油や破片が噴出してきた。部隊はいくつかの木製甲板の破片、コルク栓3つ、石鹸等呂105のものと思われる破片を回収した。 これらの対潜戦の記録は第二次世界大戦において比類なき功績であったため、イングランドは殊勲部隊章を受章した。またアーネスト・キングアメリカ合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長が語った「アメリカ合衆国海軍に常にイングランドあり」(There'll always be an England in the United States Navy.)という言葉は、1960年10月6日にリーヒ級ミサイル巡洋艦の1隻がイングランド(USS England, DLG-22)と命名されたことで裏付けられた。
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