名馬「ヒコーキ」とは? わかりやすく解説

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名馬「ヒコーキ」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 16:34 UTC 版)

琉球競馬」の記事における「名馬「ヒコーキ」」の解説

ヒコーキ」(飛行機)は昭和3年ごろに活躍した推定される実在白馬中頭中部地方産駒で、大謝名(おおじゃな)にいたと語り継がれる昭和初期琉球競馬頂点に立ち、歴史に名を遺した。梅崎晴光は「流麗な脚さばきで加速すると、長い尻尾垂直に伸ばし軽やかにフワリ舞ってみせる」と、その走り形容首里行われた競馬の「シーぬ一番」(末の一番という意味。相撲の結びの大一番相当する)で島尻シー馬(横綱級の馬のこと)自動車小に勝ったヒコーキ活動年代推定されたのは、同時期に活躍した「トヌバル」が昭和3年出走した記録があるためである。 昭和初期沖縄神社祭の奉納競馬には、中頭ヒコーキとトヌバル、島尻自動車小とマンガタミ馬がいて、双方どっちも負けられない勝負が、平良馬場くりひろげられた。万余見物人が手に汗をにぎる見事な勝負展開した結果優勝栄冠中頭ヒコーキ挙がったという。 — 『西原町第4巻資料編3 西原民俗西原町編纂委員会編 1990年3月 ヒコーキは『西原(にしはら)町史』や『浦添市史』『宜野湾市史』など沖縄本島各地地誌存在示されていることを、梅崎晴光発見され各地大会で優勝している名馬とわかり、以後の『消えた琉球競馬 幻の名馬「ヒコーキ」を追いかけて』の執筆をみるまでになった馬主与那嶺真宏で、競馬ヒコーキ出場させるときには「ヨドリ与那嶺小」(ヨナミネグヮー:「(浦添)ようどれのすぐ目の前に住んでいた与那嶺分家 」の意。小(グヮー)は分家意味する)と名乗っていた。「ヨドリ」は「ようどれ」のことで琉球語で「夕暮れ夕凪ぎ」を意味しており、沖縄で「ようどれ」と言うと普通は浦添ようどれ(尚寧遺体祭った王陵)を指している。ヒコーキ調査活動にあたり梅崎晴光馬主既に他界)の娘(当時92歳)も見つけ出すことに成功し白い馬であったことを教えられた。

※この「名馬「ヒコーキ」」の解説は、「琉球競馬」の解説の一部です。
「名馬「ヒコーキ」」を含む「琉球競馬」の記事については、「琉球競馬」の概要を参照ください。

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