名称と地理
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「アルバニア・ヴェネタ」の記事における「名称と地理」の解説
アルバニア・ヴェネタのヴェネタとは、コソヴォから南アルバニアまで広がるオスマン帝国領アルバニア(Albania Ottonia、アルバニア・オットニア)と区別するために「ヴェネツィア領」であることを示すため用いられた。 これらのヴェネツィア領はラグーサ共和国(現在のドゥブロヴニク)の南部国境からアルバニア沿岸の町ドゥラッツォ(Durazzo、現在のドゥラス)まで伸びていた。ヴェネツィア領は、アドリア海から20km以上内陸へ到達することはなかった。1573年以後、アルバニア・ヴェネタの南限はブドゥア(Budua、現在のブドヴァ)近郊の村コンフィン(現在のクフィン)へ移った。オスマン帝国がアンティヴァーリ(Antivari、現在のバール)、ドゥルチーニョ(Dulcigno、現在のウルツィニ)を征服したためだった。 ヴェネツィアの領土はカッターロ(Cattaro、現在のコトル)、リサーノ(Risano、現在のリサン)、ペラスト (Perasto)、ティヴァト、ヘルツェグ・ノヴィ、ブドヴァ、ストモーレを含むコトル湾周辺に集中していた。
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名称と地理
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ラシードゥッディーンは『ジャーミウ=ッタワーリーフ Jāmiʿ al-Tawārīkh(集史)』において、ナイマン族の領域の地理的位置を記し、その名称がモンゴル語で「八つの数」を意味すると伝えている。その領域は大アルタイ山脈、カラコルム山脈、エルイ・シラス山地、アルディシュ(ザイサン)湖(イルティシュ湖)、イルティシュ川流域、イルティシュ川とキルギス族の地方に走る山地を抱合し、北はキルギス地方、東はケレイト族の領土、南はウイグル地方、西はカンクリ族の地方とそれぞれ接していた。
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