吉田内閣退陣と緒方総裁選出とは? わかりやすく解説

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吉田内閣退陣と緒方総裁選出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:00 UTC 版)

緒方竹虎」の記事における「吉田内閣退陣と緒方総裁選出」の解説

吉田政権末期バカヤロー解散造船疑獄をめぐり吉田法務大臣犬養健命じて指揮権発動させ、側近自由党幹事長佐藤栄作逮捕阻止したことなどにより、急速に政権求心力失っていった。そうした中、1954年昭和29年3月緒方保守合同呼びかける緒方構想」を発表した。しかし「緒方構想」による新党推進勢力には、吉田退陣前提とする吉田棚上げ論者予想外に多数占めたため、吉田消極的であり、「緒方構想」は6月にいったん打ち切られた。結局12月鳩山一郎中心とする反吉田勢力は、左右両派社会党連携し吉田内閣不信任決議案提出する自由党は、衆議院解散総選挙による吉田内閣延命か、吉田内閣総辞職かで真っ二つ別れる吉田政権維持執念燃やして解散主張したが、緒方内閣総辞職主張し1954年昭和29年12月7日朝、「もし総理解散強行すれば私は閣僚として解散書類署名しません。むしろ政界から引退しますかっこうの悪い西郷なりますよ」と、自らの政治生命賭けて吉田直言した吉田緒方罷免してでも解散するつもりだったが、同日閣議では文部大臣大達茂雄運輸大臣石井光次郎国務大臣加藤鐐五郎総辞職主張し自由党幹部会全員解散反対だったため、吉田解散断念内閣総辞職した。翌12月8日議員総会自由党吉田総裁辞任了承し正式に後任総裁緒方選出され石井光次郎幹事長とした。吉田内閣総辞職にともなう首班指名選挙で、緒方派代議士らは、同じ早稲田大学出身右派社会党書記長浅沼稲次郎左派社会党委員長鈴木茂三郎らをはじめ、左右両派社会党議員緒方への投票はたらきかけといわれるが、両派社会党鳩山投票し第1次鳩山内閣成立した

※この「吉田内閣退陣と緒方総裁選出」の解説は、「緒方竹虎」の解説の一部です。
「吉田内閣退陣と緒方総裁選出」を含む「緒方竹虎」の記事については、「緒方竹虎」の概要を参照ください。

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