各自火消
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 01:29 UTC 版)
各自火消(かくじびけし)は、諸大名が自身で組織した火消。 はじまりは自身の大名屋敷を防火・消火するための消防組織であり、早くから存在していた。天和元年(1681年)ごろから、近所で火事が起きた場合は家来に消火させるよう幕府から指示が出ていたが、享保2年(1717年)、近隣の火事に対する出動が義務付けられ、近所火消(きんじょびけし)とも呼ばれた。翌3年には、上屋敷だけでなく、中屋敷や下屋敷からも出動するように命じられている。定められた出動範囲により三町火消・五町火消・八町火消などの別称もあった。大名の縁戚の屋敷や菩提寺へ、範囲を越えて駆けつける場合は、見舞火消(みまいびけし)と称したという。 各自火消(大名火消)としては、3組を有した加賀藩前田家の加賀鳶(かがとび、喧嘩鳶)が、その派手な装束と比類ない働きぶりで有名である。加賀鳶の行列は歌川豊国や歌川国芳により浮世絵として描かれた。また、河竹黙阿弥の作で歌舞伎の演目『盲長屋梅加賀鳶』にも登場している。 旗本に対しては、享保7年(1722年)に飛火防組合(とびひふせぎくみあい)65組をつくらせ、組合内での火事へ出動するよう命じている。
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