各人による評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 16:01 UTC 版)
一連の動きで田中が最も心を痛めたのは、小沢一郎、梶山静六、羽田孜など、子飼いの弟子が弓を引いたことであった。田中派外様の代表格である田村元は、田中が脳梗塞で倒れたことについて「創政会卒中」と周囲に漏らしている[要出典]。 一般的には田中支配転覆のクーデターに見られがちな創政会の結成であるが、小沢一郎は、「オヤジと慕う角栄に弓を引く気はなく、竹下を一時的に後継者に指名すればそれでよかった[要出典]」とも述べている(立ち上げの前日一晩泣き明かしたという)。梶山静六は、派内後継者を決めればそれでよく、田中支配を続けることに反対ではなかったという[要出典]。羽田孜なども同様のことを言っている[要出典]。また後藤田正晴は、「角栄が倒れることがなければ、いずれ必ず機会を見て潰されていただろう[要出典]」と語っている。 立ち上げメンバーのひとりである渡部恒三は、仁義を切るために田中邸を訪れた際、田中に「貴様、次の選挙で川島(引用注:渡部と同郷の元官僚・川島廣守のこと)を立ててたたき落としてやる」と怒鳴られたことを回想している(結局川島は出馬せず、このような選挙構図にはならなかった)。 野中広務は「田中さんがロッキードでやられたあと、我々は創政会をつくるわけですね。その時、梶山さんから「私ら幹部が先に行って角さんに怒られてくる。そのあとにお前らが行け」と言われて、ちょっと遅れて田中さんの部屋に入ると、裏の引き出しに箱が積んであって、「要るなら持ってっていいんだよ」と。反旗をひるがえして出て行く手下たちに、この期に及んでカネを配ろうとする…あれには可哀想になりましたね」と回顧している。
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