台湾(中華民国軍)の慰安婦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 05:55 UTC 版)
「慰安婦」の記事における「台湾(中華民国軍)の慰安婦」の解説
台湾には、1952年から1992年まで「軍中特約茶店」または「軍中楽園」と呼ばれる慰安所があった。こうした施設で働く女性を「軍妓」と呼んだ。 中華民国国防部は、1954年1月、軍中楽園の設置を検討し始め、翌月には設置は陸軍から始めること、軍が運営の責任を担うこと、娼婦には食事を支給することなどが決まった。設置の理由は、軍規と兵士の健康の維持の為とされる:72,73。軍妓(慰安婦)の中には、意に反して働いていた女性もいたと言われる:74。1957年に、名称が軍中楽園から特約茶店に変更された:72。 1987年に、16歳の少女が金門島の特約茶店で3000人以上の客を相手に売春を強要されるという事件も起きている。 1951年の料金は、軍人〔ママ〕が15元、兵士が10元。1989年では、それぞれ250元と150元だった(当時の一般兵士の給料は、3100元)。
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